<ガラスの家>の現在までの評価
〈ガラスの家〉は、これに接する機会を得た人々を倒錯的な魅力で圧倒しながらも、近代建築史上においては何故か永い間、忘れられていた作品である。その表現が明快ではないために、現在まで正当な評価が与えられなかったことが第一の理由に挙げられるだろう。建築家としてよりもインテリア・デザイナーとしての活動が目立った設計者ピエール・シャローの存在も、よくわかっていない部分が多い。〈ガラスの家〉が現存する彼の唯一の作品であることもこの謎をいっそう深める結果となっている(注:当時見落としていたが、アメリカ亡命後に画家・ロバート=マザウエルのために建てた住宅作品が、取り壊しの危機に瀕していた。)1932年、パリ左岸住宅街にこのダルザス邸がその姿をあらわし始めた時は、国内外の注目を相当集めたらしい。扇情的新聞はこれを奇妙な建築として盛んに取り上げた。一部の専門誌にも扱われないではなかったが,その記事の内容は「余りにも夢想的」、「遅れてきた機械主義者」、「知的かつ不充分な機能主義者」としてシャローを評するものであった。完成当初も〈ガラスの家〉は、依然として評価されていない。例外的に竣工当時,ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙は、この家を紀元2000年の家と称したが、「形態は機能に従う」という合い言葉のもとに進んでいた近代建築の成熟期にしてみれば、〈ガラスの家〉の屈折した表現に対し、このような当たりさわりのない辞令を送るほかなかったのである。そして、機能主義が見直され始めている今日、この住宅の矛盾をはらんだ過剰な機能主義が脚光を浴びている。ハイテックが機能主義の特異点であるとする時,この作品の新たな位置づけを問い直してみたい。現在までの最も包括的な〈ガラスの家〉に関する論文は、ケネス・フランプトンが《Perspecta12》に寄せたものである。彼はこの家の特徴を、分節、変化、透明性にあるとして近代主義との関連を述べ、更にコルビュジエのガルシュ邸とのプラン及び前庭、後庭に面するファサードの対比の類似性を指摘している。また、綿密な実測調査によって平面計画に用いられたモデュールを分析し、異なる素材に同寸のモデュールを用いることが、それら相互の置換を連想させ、コラージュとしてのイメージから〈動き〉をあらわすとみなしている。それが扉や階段などの、実際に動くものと同種の意味をもっているとしている点が興味深い。この他に、幾つかの論文*の中では、〈ガラスの家〉をダダと構成主義の交点に位置するものとして、機能的/非機能的性格を有する浴室や回転扉から、デュシャンの〈大ガラス〉へのアナロジーが指摘されている。
シャローとコルビュジエの類似性
コルビュジエとシャローのつながり、例えばモースの著作《コルビュジエの4三涯》にも断片的に記されており,〈ガラスの家〉の建設現場(1928−32)にしばしばコルビュジエが訪れ、スケッチをしていたというダルザス夫人の語ったエピソードがある。コルビュジエのクラルテ集合住宅(1930−34)、ポルト・モリトール(1933)、救世軍会館(1929−33)と〈ガラスの家〉の鉄やガラスレンズや照明の扱いにおける類似点を見れば、コルビュジエがシャローに影響を受けたことは明らかであろう。
また、同著には、コルビュジエとシャローが二人でドゥースブルクの自邸を見学に行ったことが書かれており、コルビュジエはこの時、必要に応じて部屋を仕切る1階の大きな回転扉に注意を葱かれたことを記している。このような巨大な扉は彼の作品の中に、例えばロンシャン教会入口などに用いられ、この時の記述を裏書きしている。シャローはドゥースブルク自邸についての記述を残していないが、壁面が回転してポッカリ開いた穴の向こう側に別の部屋があらわれるという仕掛けは、ガラスの家では天井高いっぱいの湾曲した扉や、サロンに隣接するダルザス博士の書斎の引き戸となって再現されている。ここで用いられた約8m程の巾の大きな引き戸は扉というよりも、もはや移動する壁面と呼ぶ方が適切であり、ふたりの建築家が似かよった装置に対して同じような興味を集中させていたことは疑いない。近代建築の主流に位置していたコルビュジエと、最後まで異端とみなされ、傍流の道を歩んだシャローとがいくつかの類似点を備えていたことは興味深いことである。しかしながら、〈ガラスの家〉に見られる機能への執着は、コルビュジエの住宅作品にうかがえるそれとは明らかに異質なものであると言ってよい。ハイテックという問題点から〈ガラスの家〉を取り上げる時、検討が要請されるのはむしろ、コルビュジエとシャローとの相違点である。
互いに共鳴しあう面をもちながら、何故コルビュジエの表現は後世に引き継がれ、シャローの表現は忘れ去られてしまったのか。また,一般に近代主義が表現として有効性を失いつつあると言われる今、そのシャローの作品が何故我々にとって魅力的であるのか。
シャロー,コルビュジエ,フラーにみる近代性
シャローとコルビュジエとの間には,確かにその近代性の捉え方に類似性が見うけられる。〈ガラスの家〉では素材はガラスレンズ、アングル、H型鋼、丸パイプ、パンチングメタル、ラバータイル、磁器、木製タイル類、というように、ほとんどすべてが工業規格品である。鉄によるデザインを一例として見る時、1920年代に入って情勢はひとつの局面を迎えつつあった。鋳鉄に代わって鋼鉄が普及し始め、このために防錆を目的として塗料被膜を施さねばならなくなったり、あるいは型鋼が登場したことなどで、建築家が望むようなデザインの施工方法が困難になってくる。それまで鋳鉄によって鉄という素材の自由な造形の可能性を展開させていたアール・ヌーヴォーの作家たちは、この時点をもって独白の作風を作り得なくなった。以後建築家には、規格品を組み合わせるという避けがたいテーマが与えられることとなる。社会経済から生まれた規格品を積極的に使いこなすことにより、新しい社会にふさわしい空間を作ろうとする態度は、良くも悪くも近代という時代が建築家に普遍的に強いたものであり、コルビュジエも多くの作品で試みていることである。そして〈ガラスの家〉は,本格的に鉄の規格品を多用したデザインとして、成功をおさめた好例であった。規格品と建築の問題を追求していた建築家として、バックミシスター・フラーもあげておくべきであろう。フラーはシャローと同様、近代建築の異端者とみなされており、コルビュジエ批判を掲げながら広範囲にわたる活動を展開した人物である。コルビュジエ、シャロー、フラーは工業製品の標準化という近代の共通な視点と終始取りくみながら、その方法においては三者三様の違いをみせている。
コルビュジエは、工業の象徴としての機械のイメージをもつフォルムの美しさを建築に刻印し、より絵画的領域にすべり込んでいった。
これに対してフラーは、コルビュジエがフォルムに執着し、単なる表層的なイメージの改変に留まっていることを批判し、より具体的な先進技術を使って生活意識の革新まで行うべきだと考えていた。
この二人の対極的な姿勢は、R.バンハムの主著<第一機械時代の理論とデザイン>終章において、もっとも鮮やかに示されていると言えるだろう。コルビュジエが家事用具の機械化に非常な関心を持っていたにも関わらず、設計された台所や洗濯室が旧来通りの対応しか見せていないのに対し、フラーのダイマキシオン住宅(1927-30年)においてはオーブン、洗濯機、真空掃除機などは機械的であるが故に、その機能的差異が失われ、住宅の中心部へ一緒に格納されてしまっている。そしてシャローはその両者のどちらとも異なっているのである。
まずひとつには、これら二人と比べて、シャローが確固たる理論をもとに建築をつくるタイプの人間ではなかったことが挙げられよう。彼がもともとインテリアデザインから仕事を始めたこと、また家具デザイナーとして有名であったことが、理論の術縛から逃れさせ、フランスの伝統的な家具職人によく見られるように、扱う素材への感性を第一に心得て、これを設計に素直に従わせたと思われる。さらに、ダンディで巾広い教養を有していたシャローは、当時の知識人と交流があり、CIAM、UAMの会員としても名を連ねて、時代の先端の思想や情報を入手できたと考えられよう。
〈ガラスの家〉の空間の流動性
シャローは〈ガラスの家〉を工業化住宅のプロトタイプとして設計しながら、モデュール化の意図が無意識のうちに置換可能であることからくる〈動き〉の表現にすり替わっているとのフランプトンの指摘は、規格品の使用による建築と技術の問題に関する理論の実践そのものがシャローの意図ではなかったことを示している。むしろ空間の〈動き〉や〈変化〉こそがシャローの意図であり、回転やスライドという動きを出すための機械的なディテールであったはずである。
空間の流動性はコルビュジエも提唱し実践していたものであり、絶えざる変革を望む近代という時代の普遍的な表現となった。農耕社会を基盤とした一年周期をめぐるルーティンワークの過去の時代から、17〜18世紀の産業革命を経て資本主義に移行した際、加速度的に進歩を遂げる工業化は人々を土地からの拘束から開放した以外に、建築の表現にとって重要な何ごとかをもなしたのである。絶えざる変革、絶えざる変化が近代社会の歴史を作っていくのであり、シャローとコルビュジエのもう一つの共通項、空間の動きや変化という特質の近代性を抜きにしては語り得ない。
コルビュジエの数多くの作品のどれにも増して、〈ガラスの家〉はその空間に動きや変化を充満させている。その原因の一つには、〈ガラスの家〉にも採用されている規則的な柱配置と、コルビュジエのグリッド・システムとの微妙な差異が挙げられよう。
フランプトンは、ガルシュのシュタイン邸と〈ガラスの家〉との類似点を挙げているが、この両邸の柱の扱いには微妙な、しかし決定的な差異がある。ガルシュ邸の柱は原則的に方向性を持たず、グリッド上に直立して抽象的な性格が与えられている。だが〈ガラスの家〉における柱はH鋼の性格上、生じる方向性を無視できない。シャローは意図的に、この方向性が空間の流動性と対応するように(進行方向にフランジの断面が見えるよう)に柱を配置している。
ガルシュ邸の柱が抽象的空間の骨格を決定し、そこへ動きを与える壁の曲面が挿入され、変化を生み出しているのに対し、〈ガラスの家〉では柱も空間に動きを与える役割を負っているのである。
三階の寝室を仕切った壁さえも、斜めにゆがめられて空間の流れをせきとめることはない。動線上に配された宙吊りのピボット式の回転扉や婦人用デイルームと寝室を結ぶ船舶用階段は、自身が可動することで空間の変化を促す。
中央階段前の円弧を描いて湾曲するピボット式回転扉は、湾曲したガラスとパンチングメタルの二重構造になっている。
閉じた状態ではパンチングメタルのスクリーンが視線を遮ってしかも光は通すという、半透明性の光のモデュレーターとして機能する。ところがそれが開くと、玄関からの動線を巾広い階段へと招き入れ、半透明のガラスレンズの壁面へと導くのである。
扉の円弧で囲まれている地点は二つの場を接続したり切断したりする場となり、扉の開閉がその切換えスイッチとして働く、スクリーン状の壁面として動線を拒絶していた壁面が、突如動き出し、その向こうに明るく輝く空間に向かう、緩やかな階段が立ち現れる。この急激な変化の瞬間をよりエキセントリックにしているのは、この回転運動が地面と離れた宙吊りの状態で音もなく行われることにある。
同様な空間を断続させるスイッチの役割を果たす装置が、この建築の内部空間の随所に設けられ、それらのスイッチが作動する瞬間、瞬間に、空間に生ずるわずかな歪みは空間自体を活性化させ、変化させることによって常に断続する二つの空間が互いに新鮮な存在として意識される。常に破壊を繰り返し刷新を図るという方法は、近代性の特質にほかならない。
〈ガラスの家〉と機械
これら装置の実際の動きはピボットによる回転とスライドがほとんどを占めるが、ガラスブロックのファサード面で、地面との直接の接触を避けた表現として下部に溝線を備え、接地面を隠して重力を消すデザインは、宙吊りの扉や吹抜けまわりの本棚に伺える非機能的ディテール、階段のディテール等に一貫している。
音のない滑らかな回転、スライドといった運動への欲求と、素材としての鉄の規格品との出会いは偶然であったが、機械のディテールを用いることにより各々の装置が始めて完結した表現となり得たと思われる。シャローの装飾好みは機械へのモノマニアックなディテールに傾注し、浴室シャワー室と回転収納棚、あるいは回転する円弧の扉など、機能を持ってはいるがそのディテールは機械に対する過剰な意識に裏打ちされており、有効性のない機械それ自体として、機械の無償の美を我々に時折、ひらめかすのである。
*ケネス・フランプトン:GA DOCUMENT SPECIAL ISSUE 3, AD1978年2・3月号<シュールレアリズム特集>